納沙布岬の最東端の碑を見たとき、最初に出てきた言葉は「やっと来た」でした。
大きな声を出したわけでも、飛び上がって喜んだわけでもありません。バスを降りただけでは、まだ納沙布岬へ着いた実感が十分にありませんでした。碑を自分の目で見て、約10年前に行けなかった場所へ今回は本当に来たのだと、ようやく実感しました。
ただし、これは10年間ずっと追い続けてきた夢をかなえた話ではありません。納沙布岬のことは、普段の生活では忘れていました。学生時代の北海道旅行で置いてきた宿題を、別のきっかけで思い出し、全然違う自分になってから拾いに来た旅でした。
昔できなかったことは、昔と同じ自分のまま、昔と同じ方法でやり直す必要はない。今回の旅を振り返って、私はそう感じています。
約10年前、台風で納沙布岬を諦めた
学生時代の9月、私は車で北海道を回ろうとしていました。旅行した正確な年は公開前に写真などで確認しますが、今から約10年前のことです。
当時はお金がなく、宿泊費を抑えるために車中泊をしました。しかし、北海道の寒さを甘く見ていました。知床では寒さに凍えました。今の自分なら、睡眠や体調を崩すほど寒さを我慢する旅は選ばないと思います。
さらに台風が近づき、予定していた北海道一周のルートを短縮しました。細かな順番は曖昧ですが、釧路、帯広、納沙布岬へは行けませんでした。
だからといって、当時の旅行を失敗だったと否定する気もありません。お金がない中で車を走らせ、寒い思いをしながら北海道を回ったことも、今では「若かったからできた、よい思い出」です。
ただ、たどり着けなかった場所だけは残りました。納沙布岬は、その一つでした。
SFC修行が、忘れていた宿題を思い出させた
納沙布岬へ行けなかったことを、私は10年間ずっと悔やんでいたわけではありません。「いつか絶対に行く」と毎年計画していたわけでもありません。
普段は忘れていました。だから、「10年越しの夢」という表現は、自分の感覚とは少し違います。
忘れていた宿題を思い出したきっかけは、SFC修行の行き先を考えたことでした。飛行機へ乗るなら、搭乗実績を積むだけではなく、以前行けなかった場所へ行きたい。そう考える中で、学生時代の北海道旅行と納沙布岬を思い出しました。
SFC修行がなければ、2026年も「いつか行きたい」のまま先延ばししていた可能性が高いと思います。その後、私は費用や休日の負担、日本全国を自由に旅したい方針との違いからSFC修行を断念しました。
それでも、SFC修行を考えた時間がすべて無駄になったとは思いません。修行自体は完走できなくても、忘れていた旅の宿題を一つ思い出し、実際に行動へ移せました。
最東端の碑を見て、ようやく到着を実感した
根室からバスで納沙布岬へ向かいました。バスを降りれば、目的地には着いています。それでも、私の中ではまだ「到達した」という感覚が弱かったように思います。
最東端の碑を見た瞬間、ようやく「本当に来た」と感じました。そして、最初に浮かんだのが「やっと来た」でした。
派手な感動というより、確認に近かったのかもしれません。学生時代には途中で引き返した北海道旅行の続きが、今回はここまで来た。目の前の碑が、その証拠になりました。
最東端の碑は、観光地で記念写真を撮るための物であると同時に、私にとっては約10年前の宿題へ区切りを付ける物になりました。
ただ、その場ですべての感情がきれいに整理されたわけではありません。実際には景色を見て、写真を撮り、周囲を歩きながら、少しずつ過去の旅行とのつながりを考えていました。
国後島は、地図で見るより近かった
納沙布岬から見た国後島は、想像していたより近く感じました。
それまでの北方領土は、私にとって地図や教科書で見る存在でした。もちろん、地図を見れば北海道の近くにあることは分かります。しかし、実際に海の向こうにある土地として見ると、数字や地図とは違う距離感がありました。
北方領土全体の面積が愛知県に近い規模だと知り、私は「愛知県ほどの大きさの土地が海の向こうにある」と置き換えて考えました。国後島単独が愛知県ほどの大きさという意味ではありません。
愛知県は、私にとって単なる面積の数字ではありません。普段暮らし、鉄道に乗り、各地へ移動している土地です。それに近い規模だと置き換えたことで、急に現実味が増しました。
この記事では北方領土問題の歴史や政治的な主張を詳しく解説しません。私が残したいのは、地図で知っていた場所を実際に見たとき、思っていたより近いと感じたことです。
納沙布岬から、約10年前の知床が見えた
納沙布岬から知床方面を見たとき、私は「あそこから、ここまで来たのだ」と思いました。
公開前に写真と撮影方向を確認する必要があるため、見えた山や地形の名前までは断定しません。ただ、私の中では、約10年前に訪れた知床と今回の納沙布岬が、その景色によってつながりました。
意識したのは、知床から納沙布岬までの地理的な距離より、二つの旅行の間にあった約10年という時間でした。
学生時代の私は、知床から先へ旅を続けられませんでした。台風が来たため、ルートを短縮するしかありませんでした。当時の自分が悪かったわけではありません。それでも、行けなかった場所は残りました。
今回、その先にあった納沙布岬へ別の方法で来ました。そして納沙布岬から知床方面を見ることで、ばらばらだった二つの旅行が一本につながったように感じました。
「あそこから、ここまで来た」という言葉には、地図上の距離だけでなく、学生時代から現在までの時間も含まれていました。
約10年前の自分と、今の自分は全然違う
学生時代の自分と現在の自分を比べると、単純に「成長した同じ自分」とは思えません。全然違う自分に近いと感じます。
学生時代は車を中心に北海道を回り、車中泊をしました。現在は飛行機で現地へ入り、鉄道に乗り、ホテルへ泊まり、最後にまた飛行機で帰る旅をしています。
約10年前の自分から見れば、飛行機やホテルを使う現在の旅は、ぜいたくに見えるかもしれません。一方、今の自分は、寒さを我慢して睡眠や体調を崩すより、ホテルで休み、翌日も自分のペースで旅を続けたいと思います。
ブログへ残す内容も変わりました。学生時代にもブログは書いていましたが、写真を貼り、「きれいだった」「楽しかった」と書くような旅行記が中心でした。
当時も本当は深いことを考えていたのに、言葉へできなかった。そう書けば、少しきれいな話になります。しかし、おそらく当時は、今ほど考えていなかったのだと思います。北海道へ行き、景色を見て、写真を撮る。それだけで十分に楽しかったのでしょう。
現在は、観光地だけではなく、住宅街、子ども、高校生、列車本数、廃駅、線路跡、地域の暮らし、人との距離、自分の身体の反応、その場で出た怒りや不満まで拾うようになりました。
昔の自分より現在の自分の方が優れているという話ではありません。楽しみ方と、残したい記録が変わりました。
全然違う自分が、過去の自分の宿題を拾った
今回の旅を「10年前の自分が旅行の続きをした」と表現すると、少し違和感があります。
約10年前の自分と現在の自分は、旅の方法も、お金の使い方も、景色を見る視点も違います。同じ自分が一本の道を歩き続け、ついにゴールへ着いたという感覚ではありません。
約10年前とは全然違う自分が、過去の自分の置いてきた宿題を拾いに来た。
この表現が、今の私の感覚に最も近いです。
私は、学生時代と同じように車で北海道を回り、車中泊をし、当時のルートを完全に再現したわけではありません。現在の自分に合う飛行機、鉄道、バス、ホテルを使いました。
昔の自分と同じ苦労を再現しなければ、本当のリベンジにならないとは思いません。寒い車中泊をもう一度経験する必要も、台風のときのルートを最初からたどり直す必要もありませんでした。
昔できなかったことは、昔と同じ自分のまま再挑戦する必要はありません。
体力も、お金も、生活も、興味も変わります。昔より楽な方法を選んでもよいと思います。今の自分が納得できる方法で、過去に残したことへもう一度向き合えばよいのではないでしょうか。
これが誰にでも当てはまる正解とは限りません。ただ、昔の条件を再現できないことを理由に先延ばししている人にとって、一つの判断材料になればと思います。
日本最東端で犬のフンを踏んだ
ここまで書くと、納沙布岬で約10年前の宿題を拾った、きれいな旅行記に見えるかもしれません。
しかし私は、日本最東端の碑の近くで、犬のものと思われるフンを踏みました。
踏んだと気づいた瞬間、最初に思ったのは「なんで最東端で」でした。
単に靴が汚れて最悪だったというだけではありません。よりによって、約10年越しで訪れた日本最東端で踏んだことへの驚きと、脱力感が強く残りました。
現地では、笑える旅行ネタだとは思いませんでした。普通に不快でしたし、犬のフンを放置した飼い主への不満は今も残っています。
しかし、帰宅後に旅行を記録しているうちに、「日本最東端のうんち」「最東端到達の実感を靴底から得た」という言葉が生まれました。現地では笑えなかった出来事が、少しずつ自分だけの旅行エピソードへ変わりました。
写真には残っていません。残したいとも思いません。それでも、この旅行で絶対に忘れない場面の一つです。
不快な出来事が美しい思い出に変わったわけではありません。不満は不満のままです。ただ、記録することで、忘れたくない旅の一部にはなりました。
最東端へ約10年越しに到達した旅が、感動だけできれいに終わらなかった。その締まらなさまで含めて、私の旅行だったと思います。
まとめ|昔できなかったことは、昔と同じ自分でやり直さなくてよい
納沙布岬は、10年間追い続けた夢ではありません。普段は忘れていた、学生時代の北海道旅行で残した宿題でした。
SFC修行の行き先を考えたことで、その宿題を思い出しました。修行自体は後に断念しましたが、納沙布岬へ行くきっかけは残りました。
最東端の碑を見て「やっと来た」と思い、国後島を想像より近く感じ、知床方面を見て「あそこから、ここまで来た」と思いました。約10年前の旅行と今回の旅行が、自分の中で一本につながりました。
同時に、学生時代の自分と現在の自分は全然違うとも感じました。車中泊からホテルへ、車旅から飛行機と鉄道へ、写真中心の記録から感情や判断の記録へ変わりました。
そして最後には、日本最東端で犬のフンを踏みました。現地では笑えなかったのに、記録するうちに「最東端うんち」という忘れられない旅行ネタになりました。
昔行けなかった場所があるなら、昔と同じ条件へ戻る必要はありません。現在の自分に合う方法で、過去の自分が置いてきた宿題を拾いに行ってもよいと思います。
約10年前の自分が旅を再開したのではなく、全然違う現在の自分が拾い直した。それが、今回の納沙布岬旅行でした。



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