アメリカへ行く前の私は、国籍や人種が違っても、善意があれば自然に分かり合えると思っていました。
一言で表すなら、「人類みんな友達」です。
しかし、アメリカで生活していると、街中で何度か「ニーハオ」と声をかけられました。そのたびに、私は「コンニチハ」と返していました。
相手を言い負かしたかったわけではありません。怒りをぶつけたかったわけでもありません。ただ、自分は日本人だと分かってほしかったのです。
私は、この出来事のすべてを差別だったと断定するつもりはありません。相手に悪意があったのか、親しみのつもりだったのかは、今でも分かりません。
それでも、相手の意図が分からないまま、小さな寂しさだけが残りました。
この記事では、人種や国籍をあまり意識せずに生きてきた私が、アメリカ生活を通してそれらを意識するようになり、「人類みんな友達」という考え方を少しずつ変えていった過程を書きます。
アメリカへ行く前は「人類みんな友達」だと思っていた
アメリカへ行く前の私は、人種や国籍を今ほど意識していませんでした。
もちろん、日本人、中国人、韓国人、アメリカ人という区別があることは知っていました。世界にはさまざまな文化や宗教があり、国同士には歴史的な対立があることも、知識としては知っていました。
ただし、それらは自分の日常から少し離れた話でした。
誰かと初めて会うとき、先に一人の人間として出会い、その後に出身国や文化を知る。それが普通だと思っていました。
だからこそ、海外へ行けば、いろいろな国の人と自然に仲良くなれると思っていました。
- 英語を話せれば世界が広がる
- 国籍が違っても友達になれる
- アメリカは自由の国だから、自分らしく暮らせる
今から考えると、かなり無邪気です。
ただ、当時の私は本気で、こちらが相手を一人の人間として見れば、相手も同じように接してくれると考えていました。
実際にアメリカで暮らしてから、自分が相手をどう見るかだけでは足りないことに気づきました。
こちらが人種や国籍を意識していなくても、相手から先に属性を意識させられることがあるからです。
街中で突然「ニーハオ」と声をかけられた
アメリカで生活していると、街中で突然「ニーハオ」と声をかけられることがありました。
詳しい場所や回数までは、もう正確に覚えていません。ただ、一度だけではありませんでした。
最初は、そこまで深く考えなかったと思います。
相手に強い悪意があったのか。それとも、知っているアジアの言葉を何となく口にしただけなのか。それすら分かりませんでした。
露骨な悪口を言われたわけではありません。危害を加えられたわけでもありません。
だから、「私は差別された」と強く言い切ることにも迷いがあります。
親しみを込めて話しかけた可能性もあります。アジアの言葉を使えば喜ぶと思ったのかもしれません。深い意味のない冗談だったのかもしれません。
相手の意図は、最後まで分かりませんでした。
それでも、自分の中には小さな引っかかりが残りました。
私は日本人なのに、見た目だけで中国人として一括りにされたような寂しさです。
見た目だけで自分の輪郭を塗りつぶされたように感じた
相手から見れば、日本人も中国人も同じアジア人に見えたのかもしれません。
しかし、自分にとって日本人であることは、自分をつくってきた大切な一部です。
日本で生まれ、日本語を使い、日本の文化や生活の中で育ってきました。
それを確認されないまま、外見だけで別の国の人として扱われる。
大きな被害ではありません。人生が変わるような出来事でもありません。
それでも、自分の輪郭を雑に塗りつぶされたような感覚がありました。
ここで難しかったのは、「中国人に間違えられたことが嫌だった」と書くと、中国人であることを否定しているように見える可能性があることです。
もちろん、中国人が嫌だから訂正したかったわけではありません。
自分が何者なのかを、見た目だけで勝手に決められたくなかったのです。
私は「コンニチハ」と返していた
「ニーハオ」と言われたとき、私は「コンニチハ」と返していました。
英語で長く説明したわけではありません。「私は日本人です」と強く抗議したわけでもありません。
ただ、日本語の挨拶を返しました。
相手を言い負かしたかったわけではありません。声を荒らげずに、ささやかに訂正したかったのだと思います。
怒るほどではない。しかし、中国人として扱われたまま、その場を終わらせたくもない。
「コンニチハ」という一言には、そんな中途半端な気持ちが入っていました。
今振り返ると、あれは反撃ではなく、自分の国籍を取り戻すための小さな返答でした。
相手が笑ったり、少し驚いたような反応を見せたりすることもありました。
ただし、日本人だと理解したのか、私の返し方を面白がっただけなのかは分かりません。
相手の意図も、反応の意味も、最後まではっきりしませんでした。その曖昧さが、余計に扱いづらかったのだと思います。
悪意かどうか分からないから、怒ることもできなかった
もし明確な悪口を言われたのであれば、怒ることができたかもしれません。
明らかな差別であれば、「それは間違っている」と言えたかもしれません。
しかし、「ニーハオ」という挨拶だけでは、悪意を断定できません。
そのため、私はその場では流していました。
深く関わる相手でもありません。説明する時間もありません。「コンニチハ」と返した後は、そのまま通り過ぎる。それで終わりです。
一回ごとの出来事は小さいものでした。
しかし、同じようなことが重なると、少しずつしんどくなっていきました。
最初は、日本人だと分かってほしいと思っていました。
次第に、どうせ伝わらないかもしれないと思うようになりました。
そして最後には、訂正することさえ面倒に感じることがありました。
最初に寂しさがあり、悪意かどうか分からない疲れが続き、最後に諦めが残る。
私の感情は、強い怒りよりも、その流れに近かったと思います。
アメリカで初めて自分を「アジア人」だと意識した
日本で暮らしていた頃の私は、自分をアジア人だと強く意識していませんでした。
もちろん、日本がアジアにあることは知っています。しかし、日常生活の中で「自分はアジア人だ」と考える場面は、ほとんどありませんでした。
アメリカへ行ってから、その意識が変わりました。
自分が何を考え、どんな性格で、何を大切にしているか。
そのような個人の情報より前に、外見から「アジア人」として見られることがある。
さらに、アジア人の中でも、日本人なのか、中国人なのか、韓国人なのかは区別されないことがある。
そこで初めて、私は自分の人種や国籍を強く意識するようになりました。
日本にいた頃よりも、アメリカで暮らしたときの方が「自分は日本人だ」と感じる場面が増えたのです。
日本人であることを誇示したいわけではありません。他の国の人より優れていると言いたいわけでもありません。
ただ、自分が何者なのかを、外から勝手に決められたくなかったのです。
海外で日本人として見られたとき、自分の国をどれだけ説明できるのかという別の問題にもぶつかりました。その経験は、「社会で役に立つ受験科目は何か|社会人になって後悔した高校科目と勉強し直したい理由」にまとめています。

属性を理解することと、属性だけで決めつけることは違う
人は誰でも、何らかの属性を持っています。
- 国籍
- 人種
- 出身地
- 年齢
- 職業
- 言語
- 宗教
属性は、その人を理解するための情報になります。
私も今では、属性を完全に無視することが正しいとは思っていません。
相手の文化や歴史、生活習慣を知るためには、相手の背景を理解することも必要です。
ただし、属性を理解の入口にすることと、属性だけで相手を決めつけることは違います。
日本人だからといって、すべての日本人が同じ考え方をしているわけではありません。
中国人、韓国人、アメリカ人も同じです。
背景を知ろうとすることは必要ですが、その背景だけで目の前の人を決めてしまえば、個人の輪郭が見えなくなります。
アメリカ生活を通して、私はその違いを強く意識するようになりました。
多様性があるだけでは、自然に分かり合えるわけではない
アメリカへ行く前の私は、さまざまな人種や国籍の人が同じ場所で暮らしていれば、自然に相互理解が進むと思っていました。
いろいろな文化の人が集まること自体に、大きな価値があると考えていたのです。
今でも、多様な背景を持つ人が同じ社会で暮らすことには価値があると思っています。
ただし、人が集まるだけで、自動的に分かり合えるわけではありません。
同じ街に住んでいても、相手の国や文化を詳しく知っているとは限りません。異なる人と接する機会が多くても、外見だけで相手を分類することはあります。
善意があっても、その善意が相手を傷つけることもあります。
私自身、「ニーハオ」と声をかけた人に悪意があったとは断定できません。
しかし、悪意がなかったとしても、私の中に寂しさが残ったことまで消えるわけではありません。
相手の意図と、自分が受けた感情は別です。
だからこそ、共生には「みんな違って、みんないい」という善意だけでなく、違うまま一緒に暮らすための共通ルールと責任が必要だと思うようになりました。
全員と友達になる必要はない
以前の私は、「分かり合うこと」と「友達になること」を近いものとして考えていました。
国籍や人種が違っても、積極的に話し、仲良くなればよい。距離を縮めることが異文化理解だと思っていたのです。
しかし、実際に海外で生活すると、全員と友達になることはできません。
そもそも、同じ日本人同士でも、全員と友達になる必要はありません。
性格が合わない人もいます。考え方が違う人もいます。無理に距離を縮めるほど、互いに疲れることもあります。
今の私は、共生のために全員と仲良くなる必要はないと考えています。
相手を好きになれなくてもよい。相手の文化をすべて理解できなくてもよい。
ただし、相手の存在を否定せず、同じ社会で暮らすためのルールを守る。必要以上に干渉せず、困ったときには協力する。
そのくらいの距離感でも、共生はできるはずです。
むしろ私は、全員に親しさを求める社会よりも、違うまま適度な距離を保てる社会の方が暮らしやすいと感じています。
アメリカで感じた「話さなければならない空気」と、日本で私が心地よいと感じる距離感については、「アメリカへ行けば自由になれると思っていた。でも私が欲しかったのは『人と距離を取る自由』だった」でも詳しく書いています。
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「人類みんな友達」という考えを完全に捨てたわけではない
ここまで書くと、私が「人類みんな友達」という考えを完全に捨て、他人を警戒するようになったように見えるかもしれません。
確かに、以前のような無邪気さはなくなりました。
善意だけで、人は自然に分かり合えるとは思っていません。
異なる文化や価値観を持つ人が一緒に暮らすことには、現実的な難しさがあります。
それでも、違う国の人と分かり合える可能性まで否定したいわけではありません。
実際、アメリカでできた友人もいます。国籍が違っても、個人として向き合えた人もいました。
だから、以前の考えがすべて間違っていたとは思いません。
ただ、順番が違っていたのだと思います。
- 最初から全員を友達だと思い込まない
- 違いがあることを認める
- 相手のことを勝手に決めつけない
- 互いの距離を尊重する
- その上で、信頼できる関係を一つずつつくる
善意だけの「人類みんな友達」から、違いと責任を前提にした共生へ。
私の考え方は、そのように変わりました。
まとめ|海外生活で、日本人であることと自分に合う距離感が見えた
アメリカへ行く前の私は、人種や国籍をあまり意識せず、「人類みんな友達」と考えていました。
しかし、街中で「ニーハオ」と声をかけられ、「コンニチハ」と返す経験を重ねるうちに、人種や国籍を意識するようになりました。
- 相手の悪意は断定できなかった
- それでも、自分の輪郭を雑に扱われたような寂しさが残った
- 同じ経験が続くと、訂正することさえ面倒になった
- 日本にいた頃よりも、海外で日本人だと意識するようになった
- 多様性には善意だけでなく、共通ルールと責任が必要だと思った
- 全員と友達にならなくても、違いを尊重して共生できると考えるようになった
海外生活は、外国の文化を知るだけの経験ではありませんでした。
自分が何者なのか、自分は人との間にどのくらいの距離を求めているのかを知る経験でもありました。
アメリカへ行く前の無邪気な理想は失いました。
しかし、人と分かり合うことを諦めたわけではありません。
違いを消さなくても、互いの輪郭と距離を尊重しながら暮らすことはできる。
「人類みんな友達」という理想から少し遠回りをして、私は今、そのくらいの距離感が自分には合っていると思っています。


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