アメリカへ行けば自由になれると思っていた。でも私が欲しかったのは「人と距離を取る自由」だった

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アメリカに1年間住み、日本へ帰国して半年ほど経った頃、私は日本人を怖いと感じていました。

人間関係で失敗することが怖かったわけではありません。

日本人が、日常の中で命や時間を賭けているように見えたのです。

数秒を短縮するために車で無理に突っ込む。相手が止まる前提で、歩行者や自転車が道路へ出てくる。数千円を得るために残業し、自分の時間や健康を削る。

今の私には、得られるものと背負うリスクが釣り合っていないように見えます。

しかし、アメリカへ行く前の私も、同じように生きていたのかもしれません。

意識して命や時間を削っていたのではなく、それが不自然だと気づいていませんでした。

そして、アメリカで暮らしたからこそ、もう一つ気づいたことがあります。

私が求めていた自由は、何でも発言できることでも、好きな場所へ行けることでもありませんでした。

私が欲しかったのは、人と距離を取る自由でした。

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アメリカへ行く前は「海外なら自由になれる」と思っていた

アメリカへ行く前、日本の方が同調圧力の強い国だと思っていました。

日本では空気を読み、周囲に合わせなければならない。一方、アメリカは自由の国で、他人の目を気にせず暮らせる。

海外で生活すれば、もっと自由になれる。英語も流暢になり、世界一周旅行へ行きたくなる。日本とは違う生き方を見つけられる。

そこまで明確に計画していたわけではありませんが、どこかでそんな変化を期待していました。

ところが、実際にアメリカで暮らしてみると、私が感じたのは別の種類の同調圧力でした。

アメリカで一番苦痛だったのは毎日のスモールトークだった

アメリカでは、人と話すことが苦痛でした。

特につらかったのが、毎日のスモールトークです。

  • How are you?
  • 昨日は何をした?
  • 週末は何をしていた?

私としては、「おはようございます」だけで終わってもよいと思っていました。

昨日や週末の出来事を、毎回説明する必要があるのか。

正直に言えば、何度も「おはようございますだけでいいじゃん」と思いました。

もちろん、誰かに会話を明確に強制されたわけではありません。

それでも、何かを話すこと、リアクションすること、自分について説明すること、会話へ参加することを求められているように感じました。

話さないと、コミュニケーションに問題がある人や、社会に適していない人だと思われるのではないか。

そんな不安がありました。

研修だから現地の人と関わらなければならなかった

私のアメリカ生活は、自分で好きな場所を選んで移住したものではありません。研修として滞在していました。

そのため、「アメリカへ来たのだから、現地の人と関わらなければならない」というプレッシャーもありました。

一人で過ごしていると、何のために研修へ来たのかと思われるかもしれない。

自分自身も、会社のお金で来ているのだから、何かを経験しなければならないと考えていました。

一人で過ごせないほど予定を強制されていたわけではありません。

それでも、何もせず一人で過ごすことには後ろめたさがありました。

今振り返ると、アメリカという国だけでなく、研修という立場も、私が自由を感じにくかった理由だと思います。

休日まで次のスモールトークで使うネタを探していた

スモールトークでは、休日に何をしていたかをよく聞かれます。

そのため、休日がただ休むための時間ではなく、週明けの会話で使うネタを作る時間のようになっていました。

  • どこかへ出かけた方がよい
  • 何か経験した方がよい
  • 週明けに話せることを用意した方がよい

自由に休日を過ごしているようで、次のスモールトークのためにネタを集めていました。

誰かに命令されたことではありません。

私自身が周囲を見て、そうしなければならないと感じていただけかもしれません。

それでも、当時の私にとっては現実的なプレッシャーでした。

1年間しかないのだから、できるだけ多くの経験をしなければならない。そう考えて、少し生き急いでいた部分もあったと思います。

アメリカで本当に一人になれたと感じたのは、ドライブをしている時間くらいでした。

アメリカでは一人でいることにも説明が必要だと感じた

私の周囲では、一人で休日を過ごす現地の人が少ないように見えました。

既婚者はパートナーと過ごし、独身者も両親、兄弟、親戚、友人などと休日を過ごしていました。そして、その出来事をスモールトークでよく話していました。

もちろん、これは私が研修中に接した範囲での印象です。アメリカ人全体がそうだと断定するつもりはありません。

ただ、周囲の人が家族や友人と過ごした話をする中で、「私は一人でゲームをしていました」と話すことには、少し説明が必要なように感じました。

アメリカは個人主義の国だから、一人でも暮らしやすい。

行く前はそう思っていました。

しかし、私が見た範囲では、一人でいることよりも、誰かと時間を過ごすことの方が自然に見えました。

日本とアメリカでは同調圧力の種類が違った

アメリカへ行く前の私は、同調圧力の強さを単純に次のように考えていました。

日本 > アメリカ

現在の私の体感は逆です。

アメリカ > 日本

ただし、客観的にどちらの国の同調圧力が強いかを証明したいわけではありません。

日本とアメリカでは、求められる同調の種類が違うのだと思います。

私が感じた場所求められているように感じたこと
日本空気を読む、周囲と同じ行動を取る、目立たない
アメリカ話す、反応する、自分を説明する、出来事を共有する

日本にも同調圧力はあります。

ただ、私にとって負担が大きかったのは、アメリカで感じた外向性への圧力でした。

帰国して日本の「お一人様文化」に気づいた

日本へ帰国してから、改めて日本のお一人様文化に気づきました。

  • 一人で食事をする
  • 一人で映画を見る
  • 一人で買い物をする
  • 一人で旅行する
  • 一人で鉄道旅を楽しむ

誰かと一緒でなくても、生活の多くが成立します。

アメリカへ行く前は、こうした距離感を冷たい文化だと捉えていた部分もありました。

しかし、今は違う見方をしています。

他人が自分のことをそれほど気にしていないからこそ、自分も集団から離れられる。

日本には、放っておいてもらえる余白があります。

少なくとも現在の私には、その距離感が安心につながっています。

人と距離を取れば、命や時間を削る集団からも離れられる

帰国後、日本人の危険な運転や働き方が怖いと感じるようになりました。

数秒を短縮するために危険を冒す。数千円のために残業する。時間や健康を削ることを当然として受け入れる。

私は、そうした集団の価値観を理解できなくなりました。

ただ、日本では、その集団から距離を取ることもできます。

  • 無理に飲み会へ参加しない
  • 必要以上に残業しない
  • 休日まで職場の人間関係へ入らない
  • 一人で過ごす

距離を取ったところで、多くの人は私のことをそこまで気にしていません。

以前なら、それを冷たい社会だと思ったかもしれません。

しかし今は、その冷たさに助けられています。

人と距離を取る自由を使えば、命や時間を削る集団からも離れられる。それが今の私にとっての安心です。

人間が嫌いなのではなく、関わる頻度を自分で決めたい

私が最も安心できるのは、人と関わらない時間です。

一人でオフラインゲームをする。プラモデルを作る。漫画を読む。映画を見る。パズルに取り組む。

オンラインゲームは苦手です。

人間関係、即時の反応、他人との連携が入ってくるからです。

ゲームをしているときくらい、人間関係を忘れたい。

一人で完結する趣味なら、誰かの反応を気にせず、自分のペースで楽しめます。

ただし、人間そのものが嫌いなわけではありません。

月1回程度の飲み会や、誰かと行く旅は好きです。

以前は、これは矛盾しているのではないかと思っていました。

今は、人と関わる頻度や距離を、自分で決めたいだけなのだと考えています。

普段一人で安心して過ごせているからこそ、時々人と会う時間も楽しめるのだと思います。

私が欲しかったのは「自己主張する自由」ではなかった

以前の私は、自由とは何でもできることだと思っていました。

現在は少し違います。

私にとっての自由は、次のようなものです。

  • 無駄に干渉されないこと
  • 一人でいられること
  • 人と関わるか自分で決められること
  • 合わない集団から離れられること
  • 自分の時間を守れること
  • 休みの日を毎回説明しなくてよいこと
  • 常にリアクションしなくてもよいこと

自己主張できる自由より、放っておいてもらえる自由の方が、私には重要でした。

20代の1年をアメリカで過ごした意味

私は20代の貴重な1年をアメリカで過ごしました。

その経験に意味があったのか、なかったのか迷うことがあります。

英語力やTOEICは、期待したほど上がりませんでした。

帰国直前には向上心もなくなり、研修は無駄金だったと思った時期もあります。

海外経験として、分かりやすい成功を得たとは言えません。

それでも現在は、あの1年がなければ、自分に必要な自由の形には気づけなかったと思います。

日本を外から見られたこと。日本の問題だけでなく、良さにも気づけたこと。自分に必要な距離感が分かったこと。自分に合う場所を選ぶ基準ができたこと。

海外へ行って、その国を好きになることだけが海外経験の成功ではありません。

海外へ行った結果、日本が好きになったことも、一つの結果です。

英語が流暢にならなかったことも、期待した自分になれなかったことも消えません。

ただ、当初とは違う形でも、経験をこれからの生き方に使うことはできます。

失敗だったと感じた経験でも、後から意味を見つけ直すことはできると思います。

こうした失敗や遠回りも含めて記録する理由は、「はじめまして。スカイズの奮闘へようこそ|失敗も遠回りも記録するブログ」にまとめています。

はじめまして。スカイズの奮闘へようこそ|失敗も遠回りも記録するブログ
理系院卒サラリーマンのスカイズが運営するブログ「スカイズの奮闘」のプロフィールです。大学受験、大学院生活、お金、旅行、ガジェット、趣味について、成功談だけでなく失敗談や本音も交えて発信しています。

今ならアメリカと日本のどちらに住みたいか

今、アメリカと日本のどちらに住みたいかと聞かれたら、私は日本と答えます。

日本を無条件に美化しているわけではありません。

危険な運転も、長時間労働も、同調圧力もあります。

それでも日本では、自分に合わない集団から距離を取れると感じています。

一人で暮らしを楽しめる。社交へ常に参加しなくてもよい。集団から離れても追いかけられない。他人も必要以上に自分へ関心を向けない。

私が求めているのは、完全な孤立ではありません。

人と関わるか、どの程度関わるかを、自分で選べる生活です。

アメリカで自由を選べなかったのは、研修という立場が原因だったのかもしれません。

私が周囲へ合わせすぎただけかもしれません。

日本の距離感が心地よくなったのも、私自身が変わったからかもしれません。

まだ、答えを完全に言い切ることはできません。

ただ、海外へ行く前に想像していた自由と、今の私が大切にしている自由は違います。

アメリカへ行って見つけたのは、アメリカの自由ではなく、日本で人と距離を取る自由でした。

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