宗谷岬へ行く前、自分にとってそこは「日本最北端の観光地」でした。
「日本最北端の地」と書かれたモニュメントの前に立ち、本当にここまで来たのだと実感する。
それが、宗谷岬へ行く一番の目的でした。
実際にモニュメントを見たときは、素直にうれしかったです。札幌から長い時間をかけて稚内へ向かい、さらに宗谷岬まで来たことで、地図の一番上を自分の記憶で埋められたように感じました。
しかし、高台にある宗谷岬公園を歩き、慰霊碑や記念碑を見ると、宗谷岬の見え方が少し変わりました。
日本の端に立つということは、国境に近い場所へ立つことでもあります。
当たり前のことかもしれません。
それでも自分は、宗谷岬へ来るまで、そのことをほとんど考えていませんでした。
宗谷岬を「日本最北端の観光地」としか見ていなかった
自分が宗谷岬へ行きたかった一番の理由は、日本最北端へ到達したかったからです。
宗谷岬のモニュメントは、写真や動画で何度も見ていました。
地図の端にある有名な場所へ行き、その場に自分で立ってみたい。誰かに自慢したいというより、「自分はここまで来た」と自分自身で納得したかったのだと思います。
旅行先を地図上のチェックポイントのように見ている部分は、今でもあります。
未訪問の県を埋めたい。日本の東西南北の端へ行ってみたい。鉄道路線にもできるだけ乗ってみたい。
かなり自己満足に近いのですが、その達成感が自分にとっては旅を続ける理由の一つになっています。
だから出発前に見ていた宗谷岬も、地図の一番上にある観光地でした。
最北端へ立つことばかり考え、その場所が国境に近いことまでは意識していませんでした。
稚内へ到着するまでの長い鉄道移動と、日本最北端の駅へ立ったときの感覚については、こちらの記事で振り返っています。

「日本最北端の地」のモニュメントから高台へ
海側にある「日本最北端の地」のモニュメント周辺は、自分が想像していた宗谷岬に近い場所でした。
観光客がいて、バイクで訪れている人もいて、それぞれが記念写真を撮っています。
自分もそこで、日本最北端へ来たことを素直に喜んでいました。
宗谷岬は、景色が日本で一番美しいから行きたかった場所ではありません。
自分にとっては、日本最北端へ立ったという事実に意味がありました。
ただ、海側のモニュメントを見た後、高台へ向かうと少し空気が変わりました。
そこにあったのは、到達を祝うための記念物だけではありません。
慰霊や平和に関わる碑もありました。
自分は宗谷岬公園の高台へ上がるまで、宗谷岬にそのような場所があることを強く意識していませんでした。
海側では、日本最北端へ来たことを喜んでいた。
しかし、高台で慰霊碑や記念碑を見ると、宗谷岬は到達を祝うだけの場所ではないと気づきました。
宗谷岬には慰霊と平和に関わる碑があった
帰宅後に公式案内を確認すると、宗谷岬公園には祈りの塔、宗谷海域海軍戦没者慰霊碑、平和の碑、世界平和の鐘、旧海軍望楼などがあります。
祈りの塔は1983年に起きた大韓航空機撃墜事件を受け、1985年にサハリンを望む高台へ建てられました。
宗谷海域海軍戦没者慰霊碑は、樺太を含む宗谷海域の防備にあたり、殉職した人々を鎮魂するための碑です。
平和の碑は、宗谷岬沖で撃沈されたアメリカ海軍潜水艦ワフー号の乗組員と、日本商船5隻の犠牲者を慰霊するため、1995年に日米合同で建立されています。 [north-hokkaido.com]
現地で、自分がその意味をすべて理解できていたわけではありません。
碑文を一字一句読んだわけでもなければ、宗谷海域で起きた出来事を十分に予習していたわけでもありません。
だから、詳しい歴史を知っていたようには書きたくありません。
ただ、日本最北端のモニュメントとは明らかに違う意味を持つものが、高台にいくつも残されていることには引っかかりました。
「なぜ宗谷岬に、これだけの慰霊碑や平和を願う碑があるのだろう」
その疑問を持ったこと自体が、今回の旅で持ち帰ったものの一つでした。
慰霊碑を見た後、同じ海が少し違って見えた
モニュメントの前では、日本最北端の海を見ていました。
端まで来たという達成感の中で眺める海でした。
しかし、慰霊碑や記念碑を見た後は、同じ海が、それまでとは少し違って見えました。
もちろん、海そのものが変わったわけではありません。
自分の見方が少し変わっただけです。
宗谷海峡は、写真を撮るための背景ではありませんでした。
船が行き交い、海を守る人がいて、そこで命を落とした人もいた海域です。
きれいな海の景色と、そこに残された記憶が、同じ場所にありました。
自分は現地で、その歴史を詳しく説明できるほど理解していませんでした。
それでも、美しいかどうかだけではなく、この海で何が起き、何が記憶されてきたのかを少し考えるようになりました。
日本の端は、国境に近い場所でもあった
「日本最北端」という言葉ばかり見ていると、宗谷岬は日本が終わる場所のように感じます。
地図の一番上に線があり、そこで日本が終わる。
自分も、そのような感覚で宗谷岬を目指していました。
けれども、実際の端は、そこで世界が途切れるわけではありません。
その先には海があり、海の向こうには別の土地があります。
日本最北端に立つということは、国境に近い場所へ立つことでもありました。
これは政治的な主張として書いているわけではありません。
現代の国際情勢や安全保障について、自分がここで大きな結論を出したいわけでもありません。
ただ、観光地としてしか見ていなかった自分が、現地の慰霊碑や記念碑を見たことで、初めて意識したことでした。
旧海軍望楼が示す「見張る場所」という歴史
宗谷岬公園には、大岬旧海軍望楼が残されています。
稚内市によると、旧海軍望楼は1902年に建設されました。宗谷海峡を一望できる場所にあり、国境の備えとなる監視所として使われた施設です。日露戦争時には無線電信所も併置され、通信連絡や艦船の監視に関わりました。 [city.wakka…okkaido.jp]
高台から海を見渡せることは、観光客にとっては景色を楽しめるという意味になります。
しかし、同じ地形は、過去には海を監視するためにも使われていました。
景色を見るための場所と、海を見張るための場所。
現在の自分には前者の感覚が強いからこそ、後者の歴史にすぐ気づけなかったのだと思います。
日本の端は、過去には防備の場所でもありました。
その事実を知ると、宗谷岬の高台から見える海も、ただ開放的なだけの景色ではなくなりました。
慰霊碑の前で、簡単な言葉にできなかった
正直に言えば、現地で詳しい歴史を理解できたわけではありません。
碑に書かれた言葉をすべて読めたわけでもありません。
その場で何か立派な考えにたどり着いたわけでもないです。
だからこそ、「感動した」「平和の大切さを学んだ」といった分かりやすい言葉だけで片づけたくありません。
もちろん、平和であることは大切です。
ただ、慰霊碑を見た直後に、自分の中できれいな結論が出たわけではありませんでした。
むしろ、日本最北端へ来たことだけを喜び、何も考えずに通り過ぎてよいのだろうかという引っかかりが残りました。
現地で理解できなかったからこそ、帰宅後に調べる意味があります。
旅行中に分からなかったものを、その場で無理に理解したふりをしなくてもよい。
後から写真を見返し、正式名称を確認し、少しずつ調べ直す。
それも旅行の続きなのだと思います。
敵味方を分けずに残された平和の碑
公式案内によると、宗谷岬公園の平和の碑は、アメリカ海軍潜水艦ワフー号の乗組員だけでなく、日本商船5隻の犠牲者も慰霊するために建立されています。
一方の側だけを悼む碑ではなく、日米合同で建てられたものでした。 [north-hokkaido.com]
国境に近い場所には、対立の記憶が強く残っていると思っていました。
しかし、宗谷岬には、過去の犠牲者を悼み、国を越えて平和を願う碑もあります。
日本の端は、対立を意識する場所であると同時に、同じことを繰り返さないように願う場所でもありました。
ここでも、自分は政治的な評価をしたいわけではありません。
ただ、国境に近い場所にこの碑があること自体が、宗谷岬を見る自分の目を変えました。
日本最北端へ来た喜びと、慰霊碑の前で立ち止まることは矛盾しない
日本最北端へ来られたことは、素直にうれしかったです。
モニュメントの前で写真を撮ることも、到達した喜びを感じることも、否定する必要はないと思います。
宗谷岬が多くの観光客やバイクでにぎわっていることも、その場所の一つの姿です。
一方で、高台には慰霊と平和に関わる場所があります。
その二つは、どちらか一方を選ぶものではありません。
旅行を楽しみながら、その土地が持つ別の意味にも少し目を向ける。
自分には、その両方が必要でした。
厳粛さだけを強く求めると、宗谷岬へ行くこと自体が重たいものになってしまいます。
逆に、最北端の記念撮影だけで終わると、自分が現地で感じた引っかかりが残りません。
最北端へ来たことを喜んだ後、高台へ上がって少し立ち止まる。
それくらいの距離感でよいのだと思います。
これまで日本の「端」を観光地としてしか見ていなかった
これまで自分は、日本の端を地図上のチェックポイントのように見ていました。
日本制覇を進めたい。
東西南北の端へ行ってみたい。
モニュメントの前に立ち、自分がそこへ来た証拠を残したい。
今でも、その気持ちはあります。
端を訪れることへの自己満足が、悪いことだとも思っていません。
ただ、実際に宗谷岬へ立つと、端はただ埋める場所ではありませんでした。
国境、航路、防備、交流、犠牲、平和への願い。
自分が知らなかった歴史が、その場所に残されています。
すべてを詳しく理解できなくても、なぜそこに記念碑や慰霊碑があるのかを見るだけで、その土地へ行った意味は少し深くなるのかもしれません。
次に訪れたい日本の端は、納沙布岬です。
以前の自分なら、端へ到達することだけを考えていたと思います。
しかし、宗谷岬を訪れた後では、モニュメントだけを見て終わりたくありません。
その土地が何を見てきたのか。
なぜそこに碑や施設が残されているのか。
分かる範囲でもよいので、少し立ち止まって見たいと思います。
まとめ|日本の端を見る目が少し変わった
宗谷岬へ行く前、自分が目指していたのは日本最北端の観光地でした。
「日本最北端の地」のモニュメントへ立ち、地図の端を自分の記憶で埋める。
それが旅の目的でした。
しかし、高台にある慰霊碑や記念碑を見たことで、宗谷岬の見え方が少し変わりました。
日本の端に立つということは、国境に近い場所へ立つことでもあります。
海の向こうには別の土地があり、この海域には航海、防備、戦争、犠牲、平和への祈りの記憶が残されています。
現地で、そのすべてを理解できたわけではありません。
だからこそ、分かったような大きな結論を出したくはありません。
それでも、最北端のモニュメントだけを見て帰らず、高台まで歩いたことには意味がありました。
日本最北端へ来たことを喜ぶ気持ちと、慰霊碑の前で立ち止まることは矛盾しません。
旅行を楽しみながら、その場所が持つ別の意味にも目を向ける。
宗谷岬を訪れたことで、地図上の「日本の端」を見る自分の目が少し変わりました。
宗谷岬を訪れた翌朝、自分は再び稚内駅へ向かいました。
新しく整備された日本最北端の駅と、古い駅舎や複数のホームが残る南稚内駅。
二つの駅を見比べると、鉄道の中心は南稚内駅の方ではないかと思えてきました。
次の記事では、稚内駅と南稚内駅を実際に歩いて見比べた印象を振り返ります。


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